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高齢出産レポ⑥ その後のこと。

体重3,400g 大きな赤ちゃん。

産後は大部屋を希望していましたが、母子同室が基本の病院で「自分の子が傍にいないのに、他所の赤ちゃんが見える」のが辛すぎて、NICUに入ると決定してから個室に変更しました。

出ない初乳を毎日絞り、息子に会いにNICUに通った数日間。

保育器の前で涙を流す度に「身体も大きくて体力があるから大丈夫」と、スタッフに声を掛けられていました。隣の保育器を覗き込む様な事はしてはいけないと思ったし、そんな余裕もなかったのですが、確かに大きくて体力がしっかりあったのだと思います。

そのお蔭か、息子は医師からの見立て(退院予想)を大幅に上回る回復をし、産後3日目には小さく泣けるようになり、1週間でNICUから出られる様になり、回復が遅れて入院が長引いていた私と、産後10日目で一緒に退院することが出来ました。

ちなみにNICU内での「デジカメやビデオ」で我が子の撮影は許可されていますが、周囲の撮影や医療機器への影響からスマホの持ち込みや撮影は禁止されておりました。面会は1度に2人まで(父母、祖父母のみ)等、様々な決まり事で赤ちゃん達は守られていました。

出血が多かった為むくみが酷く、完全に引くまで1ヵ月かかりました…。

産後の里帰りを止められました。

退院はさせられるけど、いつ容態が変わるか分からないから、退院後2週間は「病院にすぐ戻れる場所」にいてくださいと言われました。

本来は退院後、病院から車で1時間の妹宅に床上げまで滞在する予定でしたが、突如何も準備していない自宅で(妹宅で準備していた)育児を開始せざるおえませんでした。殆どの物が薬局や通販で買えますが、とにかくパニックだった2日間。

そして気管や呼吸器の異常を感じたら、すぐ来院してくださいと言われていたので、しゃっくりやくしゃみをされる度に、震えあがっていました。

振り返りの記録だから。

この一連を、思い出しながら書いています。

2年前の事なので、もしかしたら少し齟齬があるかもしれません。鬱の治療の一環で「辛いと思う事を取り除く」といった際に、殆どの医療的な資料を捨ててしまったのが今では悔やまれます。

今でこそ元気で2歳になれているという結果が分かっているから、穏やかな気持ちで記録をまとめ公表する気になれたのですが、6か月検診で「もう心配いらないね」とお墨付きを頂くまでは、本当に毎日、無事育つのだろうか…と綱渡りをしている様な気持ちで、余裕は全くありませんでした。

高齢出産だからこうなったという趣旨ではなく、私個人の体験談です。息子の回復例も同様です。あくまで個人の記録として捉えて頂ければと思います。

2年越しの高齢出産レポにお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

 

 

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