30分程気を失い、再び目を覚ました時にも後産は終わっておらず、息子も近くにいませんでした。
- 高齢出産レポ①急激なお産の進行から入院手続きまで
- 高齢出産レポ②お産が膠着
- 高齢出産レポ③アクティブバース、立会い出産について
- 高齢出産レポ④産まれたのは呼吸が絶え絶えの息子でした
夫も「どうなっているのかわからない」と。
呆然としました。
子宮の戻りが悪く、血が止まらない。
胎盤を出し尽くしても出血が止まらず、猛烈な寒気と頻繁に意識を失いかけていました。会陰の傷を縫われた後は、出血を減らし子宮の戻りを良くする為にと、腰と腹回りにアイスノンを付け圧迫固定をされました。
今息子に何が起こっているのかわからない恐怖と、自分の身体じゃないような感覚。そして貧血とアイスノンの寒気で毛布を掛けられてもガタガタと歯が鳴り続けました。
出血量を測るために、血の染み込んだ物を頻繁に秤にかけているのを見ながら、息子にもしもの事があったら私もこのまま死なせて貰おうと、朧げに考えていました。
1時間程経った頃「息子に会わせる」と夫だけ呼ばれ、処置は無事終わったけれど、色々身体面で問題が出ており、NICUに入ることになりました。と伝えられました。
NICUとは
新生児の(Neonatal)集中治療室(ICU)。低出生体重児(未熟児)や、先天性の病気を持った重症新生児に対し、呼吸や循環機能の管理といった専門医療を24時間体制で提供する。厚生労働省の施設基準などで、新生児科医師の常勤や、産科や小児科から独立した専従の当直医の設定、看護師1人に対し患者は3人以下、などの条件が定められている。
「なんでまた…」
涙と自責の念しかわきませんでした。
最初の子の流産の際に「nicuのある病院なら助かっていたかもしれない」という後悔から、nicuのあるこの病院を選び、それが今回の早期処置に繋がったのですが、この時はそんな風には考えられませんでした。
nicuに入らなくてはいけない、そういう状態で私が産んでしまったという事実が、ただただ息子にも夫にも申し訳なくて、消え入りたい気持ちで一杯でした。
告げられた病名は胎便吸引症候群でした。
nicuの主治医から「話があります」とようやく呼ばれたのは午前2時前でした。
胎便吸引症候群とは
種々の程度の胎児機能不全により羊水内への胎便排泄、胎便に汚染された羊水を胎児期あるいは出生直後に気道内に吸引することで生じる呼吸障害です。
呼吸窮迫徴候としてチアノーゼ、頻呼吸、陥没呼吸、呻吟、鼻翼呼吸などを呈します。また、羊水混濁の時期によりさまざまな程度の胎便による着色を臍帯、胎盤、皮膚、爪などにおこします。
種々の程度の末梢循環不全や腎不全、血液凝固異常などを含む多臓器不全、すなわち仮死に関連した諸徴候を伴うこともあります。
胎盤や胎児機能不全はなかったので、「産道内に長く居すぎた」事による低酸素状態からこの様になってしまったと…。
今はまだはっきりしたことが言えないけれど、息子は身体が大きく体力がしっかりあるので命に別条はないでしょうが、何らかの障がいが残る可能性はありますと告げられました。
破水後「ざわついて慌ただしくなった」のは「羊水が混濁している」のが確認出来たから。
その後何時間も引き離されたのは、救命処置と気道内の吸引や洗浄をしていたから。
でも息子さんは無事ですよ。と。
治療法として提案されたこと。
レントゲンで確認したところ肺炎になっているだろうとのこと。既に気管内の吸引洗浄は済んでいたので、今後nicuでは
- 酸素投与
- 腸圧換気
- 補液
- 抗菌剤投与
を主に行っていくと言われました。
息子と対面。泣いて「ごめんね」しか言えなかった。
扉を3回抜け、保育器が並ぶ機械音しかしない大きな部屋の丁度真ん中に、息子の入った保育器がありました。
鼻に管をつけられ、口には酸素マスク、手には点滴を固定され、胸には沢山のコードとシールが貼ってありました。痛々しさに嗚咽が漏れました。
「この数字が今の血中の酸素濃度です。この数字は苦しい状態です」「ミルクは管で飲ませます」等、機械や様子について沢山説明を受けました。
正直、全く頭に入ってきませんでした。
名前のところに〇〇(私の名)ベビーと書いてありました。
「健康体だった筈なのに、私がちゃんと産んであげられなくてこうなった。」
何も出来ないのが苦しくて、1日何度も身体を引きずりながら息子に会いに行き、保育器の前で泣いて懺悔していた数日間でした。